| ■ 初代会長 | |
|---|---|
![]() |
紙 恭輔氏(アニーパイル・オーケストラリーダー
指揮・編曲者) 1981(S56)年3月24日享年78才 郷里の広島高師付属から熊本五高を経て東大法学部卒業後、南カリフォルニア大学にて作曲・指揮を学ぶ。P.ホワイトマン楽団の空席を待つが太平洋戦争が近づき断念、G.ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーの譜面を持ち帰って本邦初演を果たす。新交響楽団、PCL映画等で活躍。戦時中は陸軍主計少尉として徴用されるが、交響組曲「ボルネオ」、「ホロンバイル」を発表の他、平岡洋一のために「木琴と管弦楽のためのコンチェルト」を作曲。戦後は米第八軍およびアーニ‐パイル劇場の音楽監督を務め、のちにアーニ‐パイル楽団を主宰。(1953年?1958年)、実演やテレビを通じた軽音楽の普及に 努めた他、映画・放送音楽分野での作・編曲多数。1965年日本音楽家連合会会長として、日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の設立発起人となった。会長 徳川夢声、紙 恭輔は総括及び著作権担当の常任理事となり、著作隣接権の立法化に全精力を傾け、1969年一度廃案に追い込まれた新著作憲法を1970年復活制定に持ち込んだ。 そして翌年、芸団協は文化庁長官から「商業用レコード二次使用料を受ける団体」として指定された。 クラシック、ジャズを隔てることなく活動し、後半生、法学の素地を生かして実演家の権利確保のために奔走した。 紫綬褒章、勲四等旭日小綬章受賞。 著書に新興楽譜出版社刊「作曲法入門」などがある。 【受賞歴】紫綬褒章、勲四等旭日小綬章受賞。 |
| ■ 副会長 | |
|---|---|
![]() |
見砂直照氏(見砂直照と東京キューバンボーイズリーダー) 1990(H2)年6月20日享年80歳 |
| ■ 副会長 | |
|---|---|
![]() |
ジョージ川口氏(ドラム奏者)--- 2003(H15)年11月1日享年76歳 1927年6月15日京都府生まれ。父川口養之助は日本のジャズ界の草分け。1933年中国大連に渡り、アメリカ映画「ハリウッド・ホテル」のジーン・クルーパーに感激し、その日からドラムに夢中になる。その後大連実業学校に進学。2年後パイロットの資格を取得。1947年三木トロリー・バンドメンバーとなり、翌年には当時日本ジャズ界最高峰の東松二郎とアズマニアンズへ、そして~ゲイ・セプテットに参加。その3年後の1953年にはジョージ川口ビッグ・フォア結成。空前絶後のジャズブーム到来。フォーアップされたステージ、華やかな4人、最高額のギャラを得る…(とジョージさんは語っていました)その爆発的熱狂的人気は古今未曾有と語り継がれている。リーダー兼ドラム ジョージ川口(25才)、テナーサックス松本英彦(27才)、ベース小野満(24才)、ピアノ中村八大(22才)人気実力ともにジャズ界の頂点に立つ。1978年当協会の副会長に就任。 【受賞歴】1980年南里文雄賞受賞。1981年芸術選奨・文部大臣賞受賞。1985年日本作曲大賞音楽文化賞受賞。1988年紫綬褒章受章。1997年勲四等旭日小授賞受賞。 |
| ■ 専務理事 | |
|---|---|
![]() |
笈田敏夫氏(歌手)--- 2003(H15)年9月2日享年78歳 1925年2月21日ベルリン生まれ。幼稚舎から慶応義塾の同期であるハワイアンの大橋節夫と1946年にバンド結成。その後ハニー・アイランダース等を経て、1949年にはブルーコーツオーケストラに迎えられ日本を代表とするジャズヴォーカリストとして生涯不動の人気を得る。日活映画「嵐を呼ぶ男」では石原裕次郎と共演。その後はミュージカルにも出演し新境地を開く。大正ダンディズムの優雅な香りを漂わせ生涯現役で歌い続けた最高に粋なトップシンガー。1978年当協会の専務理事に就任。 【受賞歴】1987年文化庁芸術祭賞受賞。1995年勲四等瑞宝章受章。 |
| ■ 常務理事 | |
|---|---|
![]() |
松本英彦氏(テナーサックス奏者)
--- 2002(H14)年2月29日享年73歳 1926年10月12日岡山県生まれ。23才の若さで日本初のビックバンドCBナインに参加。その後シックス・ジョーズを経て1953年ジョージ山口、中村八大、小野満らジャズ界トップが集まって”ビッグ・フォア”を結成、日本のジャズ史に大きな足跡をしるした。1963年には日本人として初めて世界的なジャズ祭「モンタレー・ジャズ・フェスティバル」に単身参加し、輝かしい松本英彦の名を内外ともに知らしめ、活躍の場を世界へと拡げていく。 コルトレーンとの出会いは衝撃的で、1964年に自身のカルテットを結成し、NO.1テナーサックス奏者として頂点を極める。 1988年当協会の理事に就任。 【受賞歴】1977年文化庁芸術祭大賞受賞。1978年南里文雄賞受賞。1988年芸術選奨・文部大臣賞受賞。1991年紫綬褒章受章。1998年勲四等旭日小授章受賞。 |
| ■ 理事 | |
|---|---|
![]() |
世良 譲氏(ピアニスト)--- 2005(H17)年2月17日享年72歳 1932年3月10日島根県生まれ。父は名医として地域医療に御尽力され、ご両親共に大の音楽好きの裕福な家庭に育ち、生活の中にはいつも音楽が溢れていた。幼少よりピアノを習い、明治大学法学部在学中にプロデビュー。森亨とシックス・ポイントのピアニストとして華やかなスタートを果たす。ジャズメンという肩書きに留まらず、長年の人気音楽番組であった「サウンドインS」を始め、「11PM」「ホリデー」などのレギュラー出演、テレビCFなどで知名度を高める。デキシーからモダンまで幅広く枠をこなし、難解と思われがちなジャズという音楽を最も大衆化した、ショーマンシップ溢れる最高にナイスガイなジャズピアニスト。1978年当協会の理事に就任。 【受賞歴】2003年ジャズ界に貢献した人に贈られる南里文雄賞受賞。 |
| ■ 顧問 | |
|---|---|
![]() |
油井正一氏(ジャズ評論家) 1998(H10)年6月8日享年79歳 |
| ■ 常務理事 | |
|---|---|
![]() |
大橋節夫氏(歌手) 2006(H18)年6月7日享年81歳 |
| ■ 理事 | |
|---|---|
![]() |
薗田憲一氏(トロンボーン奏者)
--- 2006(H18)年7月12日享年76歳 1929年11月22日高知県須崎市生まれ。本名:市川船昇 19才でアコーディオンを始め、22才でトロンボーンに転向。上京後 後藤 博とデキシーランダースに入団。その後、南里雄一郎とホットシックス 斎藤 隆とデキシーデュークスを経て1960(昭和35)年11月1日に自己の バンド、薗田憲一とデキシーキングスを結成。 南里文雄氏亡き後、音楽的にも技術的にも常にメンバーの質は高く、文字通り 日本のデキシー界をリードする最高のバンドとなる。 1977年ジャズ発祥地アメリカ ニューオリンズ市より薗田憲一は永年の 功績が認められ名誉市民の称号を贈られた。又2001年に郷里の須崎市より 芸術及び社会文化の振興に寄与した栄誉を讃え、特別名誉市民の称号を贈られる。日本トロンボーン協会理事に就任。 1998年に自叙伝「我が心のデキシーランドジャズ」を出版(三一書房) 数々の失敗や苦労の中にも音楽に対する情熱は失わず、デキシーランドジャズと云う素晴らしい音楽の灯を消さないようにと「道ひとすじ」に演奏活動を 続ける。2006年4月28日の銀座ライブハウス「シグナス」出演がラストステージとなった。1988年3月当協会理事に就任。 |